管理番号 |
新品 :3302690318
中古 :3302690318-1 |
メーカー | b290a530370723 | 発売日 | 2025-05-27 01:04 | 定価 | 25000円 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
カテゴリ |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「養在深窓人未知」白楽天・漢詩文の落款
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる釣殿の宴(源氏物語絵巻)
閉じる釣殿の宴・メトリポリタン美術館
閉じる内大臣・扇を鳴らし娘の雲井雁を起こす
閉じる六条院・釣殿の宴(源氏絵図)
閉じる源氏の君と内大臣の子息たち
原文は「源氏物語・常夏の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。第26帖。巻名は光源氏と玉鬘が常夏の花(撫子)を詠んだ和歌「なでしこのとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人や尋ねむ」にちなむ。盛夏の六条院で、釣殿で涼んでいた源氏は夕霧を訪ねてきた内大臣家の子息たちに、最近新しく迎えられた落胤の姫君(近江の君)のことを尋ねる。内大臣と夕顔の君の姫君である玉鬘の姫君は、いつになったら実父・内大臣に会えるのか思い内大臣と源氏の君の間の板ばさみの玉鬘であった。雲居の雁のところへ出向いたが、夏の暑い盛りに単を羽織ってうたた寝していた姿に「はしたない」と説教する。そこで長女・弘徽殿女御の元に行儀見習いへ出すことを決めたが、女御へ贈られた文も和歌も支離滅裂な出来で、女房たちの失笑を買うのだった。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。一般にごく普通の男でさへ深窓の両家の娘には心をひかれるが身分の高い六条院の内にいる玉鬘の姫のことを世間では美しいと評判ですよと源氏の君が玉鬘の姫君に伝える場面である。紫式部が「常夏」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
「常夏」の巻は英文で「Wild Carnations」と表記されます。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。)
「自筆原本」
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
《「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。》
《さは、》・・・・・すくれたるはさま(様)ことにや侍らん」
とゆかしけにせちに心にい(入)れて思ひ給へれは、
「さかし、あつまとそな(名)もた(立)ちくたりたるやうなれと、
御前の御あそひ(遊)にも、ま(先)つふんの(書)つかさ(司)を
め(召)すは、人のくに(国)はし(知)らす、こゝにはこれを物の
おや(親)としたるにこそあめれ。
こゝになとも、さるへからんお(折)りには物し給なんを、
このこと(琴)に、て(手)をしますなと、あきらかにか()き
な(鳴)らしたま(給)はんことやかた(難)からん。
さりとも・・・・《つゐには》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
《六条院の釣殿の宴・源氏の君、高欄によりかかる》
《源氏の君・庭先で玉鬘の姫君に言い寄る殿上人たちへの思いを語る》
《秋の夜長、玉鬘(たまかづら)の姫君の奏でる琴の演奏をほめる源氏の君》
《(玉鬘の姫君)「このお邸で、何かそうしたお遊びの折などに
聞かせていただくことができましょうか。
それでは、》・・・・・上手な方の弾き方は格別なのでございましょう」
と、姫君(玉鬘の姫君)は、父内大臣の和琴を聞きたそうにして、
ひどく熱心な御面持(おももち)なので、
(源氏の君)「そうなのです。
あなたが、その名手のなかでも第一人者ともいえる内大臣から
じきじきお教えをお受けになったなら、さぞ格別上達なさるでしょうよ。
名人というものは、どの道の人でもそう気軽に手の内を
見せるということはないもののようです。
またとなくすぐれており、はなやかでおもしろい。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《Wild Carnations (常夏)》
It is the instrument all the country people play,
and I had thought that there was not a great deal to it."
She did seem to be most eager.
"You are right, of course.
It is very different in the hands of someone
who knows what he is doing."
"It is also called the eastern koto, you know,
and that brings up thoughts of the wild frontier.
But when there is a concert at the palace
the Japanese koto is always the first instrument
His Majesty sends for.
I do not know much about other countries,
but in our own it must be called the grandfather
of all the instruments, and you could not possibly find
a better teacher than the minister.
We see him here from time to time,
but the trouble is that he is rather shy about playing.
The really good ones always are.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
表示十分羡慕的子。
听到和琴个名,似乎得是村田舍的低器。
外国如何,不得而知;在我日本国,以和琴器之始祖。
今后但逢当机会,他也会到里来。不何技,凡精通此道之人,
都不肯易授其秘。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。
冬姫は通称。
左上の篆書体は、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(常夏の巻)MRI 26―7B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「常夏の巻」の資料
下記写真は、源氏の君とその子息・夕霧を訪ねた内大臣の子息たちが源氏の君と話しをかわす場面を描いております中央が源氏の君、その左が夕霧。
上記絵巻は、源氏の君と話しをかわす内大臣の子息たち。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「常夏(とこなつ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。【中古】 マッテイ 国際石油資本への挑戦者 (1969年) (世界の企業家 7 )。【中古】 通信工学ハンドブック (1957年)。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 経済人の終わり 新全体主義の研究 (1963年)。【江戸初期から中期の過去帳】 伊豆大島島司・大嶋亨蔵 歴史文化史料 N0324A。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 映画と民族 (1942年)。【中古】 アメリカ保守主義の伝統 (1964年) (社会科学ゼミナール 32 )。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。藤沢南岳・増村度次・武石貞松序 山田寒山篆刻 丸田桜隠著『桜隠七十寿詩』大正5年序刊 漢詩集。【中古】 羨望と感謝 無意識の源泉について (1975年)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。【中古】 墓に唾をかけろ (1967年) (コレクション・アモール)。中原淳一ひまわり附録。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。ロシア革命史 リチャード・パイプス/西山克典訳。【中古】 日本のことわざ 第5 講説 (1961年)。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。【中古】 蒸気表および線図 (1950年)。【中古】 教育の森 第5 家庭と学校 (1966年)。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。w200◆化学入門 全10冊揃◆江戸 慶應3~明治3年 蘭学 洋学 桂川甫策 開成所 一貫堂 幕末 維新@和本/古文書/古書。【中古】 コミュニケーションと説得 (1960年)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 仏教の根本真理 仏教における根本真理の歴史的諸形態 (1956年)。【中古】 人格心理学 上 (1968年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 オリンピックの歴史 (1963年)。【中古】 行政行為の公定力の理論 (1960年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。w∞6 江戸期 住吉物語 すみよし物語 上・下 全2巻揃い 絵入本 挿絵本 紐綴じ 和本 古書 / E02。法忍律師歌詠。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 人生には必ず活路がある (1962年)。【中古】 怠惰への挑発 (1966年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。修正民法草案 明治発行。【中古】 身体的行動 (1953年) (てすぴす叢書 第20 )。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。西国巡禮歌圖繪 上中下。讃州象頭山金比羅霊験記 上下 巻一~五 江戸時代 和本 古典籍。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。
出品した「源氏物語」は常夏(とこなつ)の内容の要旨
「常夏の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。【中古】 日本農村教育 (1943年)。光源氏36歳の5月の話玉鬘十帖の第26帖。【中古】 性の心理学的研究 (1956年) (世界性学全集 第1 性問題研究会編 )。【中古】 工芸と社会 (1947年)。源氏の君36歳の夏の話。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。【中古】 監査基準と監査手続 (1973年)。夕霧と雲居の雁の仲を許さない不快も手伝って痛烈に皮肉った。古文字詁林 7巻セット 李圃主 中文 古文字詰林 上海教育出版社。渋沢敬三著作集 全5冊 渋沢敬三。一方、源氏の皮肉を聞いた内大臣も激怒。昇平夜話。聖道得門。またあまりに姫君らしくない近江の君の処遇に思い悩む。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 開善寺殿泰山正宗大居士 小笠原信濃前司貞宗 高倉族館書写 鎌倉右大将家 書状 古文書。
「常夏(とこなつ)」自筆原本の上部には、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。【中古】 ドイツ経済の奇蹟 (1954年)。【中古】 産業連関分析 (1969年)。この言葉は、「常夏」の巻の原文で「窓の内なるほどに従ひてゆかしく思うべかめるわざなれば」とある。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。【中古】 企業と税制改革 (1950年)。玉鬘の姫君の美しさを中国の絶世の美女と称される楊貴妃をたとえた漢詩であることが「深窓」の文字からもくみとることができる。【中古】 明治前期経済の分析 (1956年)。長谷川伸旧蔵書 羽山常太郎編『安房の伝説』大正6年 京房通報社 安房国・千葉県郷土史料 千葉の伝説・昔ばなし。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。江戸名所図会。【中古】 日本出版界のあゆみ (1962年)。
《自筆上部の「常夏(とこなつ)」自筆原本の上部には、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。【中古】 体系憲法事典 (1968年)。【中古】 経営学概論 (1969年) (有斐閣双書)。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。【中古】 現代独作文 実用第一歩 (1959年)。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。画帖 絵 書道。【中古】 日本商船隊の崩壊 (1949年)。
自筆上部の「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。【中古】 人間と象徴 下 無意識の世界 (1975年)。【中古】 読解指導 読みの基礎能力 (1956年)。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。★B57和本明治期書道「鳴鶴日下部先生書帖(王羲之/蘭亭記)」1帖/古書古文書/手書き。【中古】 悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録 (1961年)。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。松方正義述『松方伯時務談』明治30年 国民新聞社刊 明治時代の憲政論・政治論。【中古】 工芸概論 (1955年)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。絵本初心柱立。興亜研究会編『現地編輯 大陸旅行案内 満洲・北支那・中支那・南支那』昭和15年 大東出版社刊 中国全土の歴史・文化・風俗・名所旧跡を紹介。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。【中古】 サラリー・ガール (1953年)。f23122904〇増補改正 俳諧歳時記栞草 藍亭青藍 全5冊揃 嘉永4年 英屋大助 三書堂梓 曲亭馬琴『俳諧歳時記』増補〇和本 古書 古文書。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。【中古】 工業用水とその水質管理 (1961年)。☆E0199和本幕末期写本「滬藩浪士檄文」1冊/富南基迺園という人物が写したもの/古書古文書/手書き。その中にもおや(親)と
しつへき御手よりひきとり給へらむは、心ことなりなんかし。【中古】 熱力学 (1971年)。【中古】 国語音韻史の研究 (1957年)。物の上手は、
いつれのみち(道)も心やす(安)からすのみそあめる。☆3398和本江戸寛延2年(1749)浄瑠璃丸本「待宵侍従優美蔵人源平布引滝」全1冊/並木千柳/三好松洛/古書古文書/木版摺り。【中古】 人形に心あり (1956年)。
いやしい山賤(やまがつ)などのなかにも、習い覚えている者が
たくさんおりますので、和琴ならたいていの人が気楽に
弾けるものと存じておりました。吾嬬路記。f20082801〇日本歳時記 全7巻 全1冊合本 貝原益軒 貞享5年 日新堂 画像複数掲載〇和本古書古文書。東琴(あずまごと)といって
その名も鄙(ひな)びたもののようですけれど、主上(天皇)の御前での
お遊びにも、真っ先に書(ふん)司(のつかさ)をお召しになるのは、
国ではともかくとして、この国では、
これを第一番の楽器としているためなのでしょう。【中古】 出版の面白さむずかしさ (1959年)。▼ 【全6冊揃 和刻本 類書集成 1-6巻 汲古書院 1976年】141-02403。
内大臣はこの邸などにも、何かの折にはお運びになるでしょうが、
技量を惜しまずという具合に奥の手を披露してこの琴を
お弾きになるようなことはめったにないでしょう。【中古】 労務管理の日本的特質と変遷 (1962年)。1946年 朝鮮古代の文化 検索:日韓併合 総督府 関東軍 咸鏡北道 平安南道 京畿道 平壌 平安北道 慶尚道 黄海道 忠清南道 全羅北道 壁画 京城。
とはいっても、・・・・・《いずれそのうちには、
きっとあなたもお聞きになれましょうよ」
とおっしゃって、一曲を少しお弾きになる。【中古】 世界大音楽全集 第1 第67巻 器楽篇 ヴァオリン協奏曲集 (1961年)。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。
姫君(玉鬘の姫君)は、
(玉鬘の姫君)「その演奏は、これにまさる音色が出るのかしら」
と、親(玉鬘の父・内大臣)にお会いしたい気持がつのり、
この和琴のことにつけてまでも、
(玉鬘の姫君)「いつになったら、こうして父君(玉鬘の父・内大臣)が
くつろいでお弾きになるのを聞けるのだろう」
などと思っておいでになる。【中古】 生産的労働と国民所得 (1966年)。【中古】 雪氷十年 最近雪氷学の概観 (1949年)。
《常夏》
原来名手奏,如此高深美妙。【中古】 学校図書館の管理と運用 (1963年)。●極上和本YM3322●女学範 大江玄圃 久川靭負 明和5年 稀書往来物 女訓書 菱屋四郎右衛門板 水戸藩儒・青山家旧蔵書。源氏:“个自然。【中古】 告発 犯人は別にいる (1960年)。【中古】 印刷企画と制作 (1964年)。
知御前管弦演奏,首先宣召掌管和琴的司女官。【中古】 イタリー語第一歩 (1951年)。【中古】 現代ソビエト文学の世界 (1968年) (晶文選書)。
能向和琴名手中最高明的内大臣学,自然特容易学好。【中古】 音波物性 (1973年) (科学シリーズ・物性 7 )。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原大膳太夫長時 犬甘 古文書。
然而要他不惜此琴妙技,将秘曲尽行表演,
却是困之事。【中古】 義務教育の理論 (1968年)。☆E0096和本江戸期徳川家康伝記写本「三河後風土記」22冊/古書古文書/手書き。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」常夏の巻の末尾(原本番号24-A)の押印。【中古】 外国資産国有化と国際法 (1964年)。●極上和本YM4755●〈大字絵抄〉二十四孝〈新板絵抄〉二十四孝集 安永5年・仙台板 本屋治右衛門ほか板 稀書往来物。冬姫は内大臣・通誠の養女。上州前橋藩天川東西番丁屋敷割。【中古】 不安のメカニズム 心の病から脱出するために (1974年) (ブルーバックス)。正式な名は伊達貞子。★0282和本江戸天和元年(1681)能狂言「謡本」20冊揃い/井筒屋六兵衛政春/古書古文書/木版摺り。大毘盧遮那成仏神変加持經巻第六 検索 唐善無畏 大日経 両部曼荼羅 胎蔵界曼荼羅 梵字 梵語 仏教 古文書。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という篆書印の内容です。●極上和本YM3330●新用文章[新板用文障・新板用文章](寛文板系統、有郭・頭書本4種)稀書往来物。【中古】 あらびあんないと事典 (1961年)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。春画 浮世絵 和本 艶本 秘本。都のてぶり。
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。為永春水作 尾形月耕画『梅暦余興春色辰巳園』(2冊=第2,3編)明治15年 武田政吉/鶴声社刊 明治時代和本 彩色木版画 浮世絵 錦絵。みだれ髪 四版 訂正改版 与謝野晶子 藤島武二画。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。【中古】 京の町かどから (1962年)。【中古】 判例婚姻予約法解説 (1935年)。
《「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。【中古】 映画とともに (1953年)。英烈遺事。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 政府と人民 (1955年) (時代の窓)。【中古】 文学の宿命 (1940年)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。此花 雅俗文庫 宮武外骨 3,8,6,7,5,9枝 破蕾号 2 洞落号 4枝 10号 合本2冊 浮世絵研究誌。【中古】 吊構造 (1975年)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 近代絵画史 (1962年)。【中古】 エミール・アレのフランススキー術 (1955年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【中古】 経済原論 上巻 (1950年)。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書。撮影後、展示のために再表装をしております。【中古】 不完全競争の経済学 (1957年) (現代経済学名著選集 第1 )。『文壇照魔鏡 第壹 与謝野鉄幹』明治34年 大日本廓淸會刊 元版(初版本)明治文学 明星 与謝野晶子 田口掬汀。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 日本社会政策史 (1940年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。【中古】 日本行刑史 (1961年)。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 日本簿記史談 (1971年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 若者制度の研究 若者条目を通じて見たる若者制度 (1936年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【中古】 民主的社会主義 (1960年)。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 護謨の研究 (1936年)。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 日本上古音楽史 (1935年)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。鈴木重春『番匠秘事』(2冊)正徳4年 須原屋茂兵衛蔵版 お堂の大工雛形集 江戸時代和本 建築装飾雛形 大工書 大工雛形書 仏教建築。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 宋明時代儒学思想の研究 (1962年)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 味百年 食品産業の歩み (1967年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。
不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定