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新品 :2201890318
中古 :2201890318-1 |
メーカー | 3247c0b92fca4 | 発売日 | 2025-05-29 15:15 | 定価 | 25000円 | ||
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カテゴリ |
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる年光東流水(年光東流の水)漢詩文・白楽天
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる原本の断層画像写真
閉じる左・真木柱の姫君・右・髭黒大将
閉じる北の方から香炉の灰をあびる髭黒大将
閉じる髭黒大将の背中に灰をあびせる北の方
閉じる中央・真木柱の姫君
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 経済人の終わり 新全体主義の研究 (1963年)。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。【中古】 アメリカ保守主義の伝統 (1964年) (社会科学ゼミナール 32 )。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。【中古】 墓に唾をかけろ (1967年) (コレクション・アモール)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。【中古】 日本のことわざ 第5 講説 (1961年)。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。w200◆化学入門 全10冊揃◆江戸 慶應3~明治3年 蘭学 洋学 桂川甫策 開成所 一貫堂 幕末 維新@和本/古文書/古書。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 人格心理学 上 (1968年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。w∞6 江戸期 住吉物語 すみよし物語 上・下 全2巻揃い 絵入本 挿絵本 紐綴じ 和本 古書 / E02。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。【中古】 怠惰への挑発 (1966年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。西国巡禮歌圖繪 上中下。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。日本歴史大系 全6冊 井上光貞他。尚侍(ないしのかみ)として宮廷に出仕を控えていた玉鬘の姫君だったが、その直前に髭黒大将が女房の手引きで強引に結婚することになった。【中古】 性の心理学的研究 (1956年) (世界性学全集 第1 性問題研究会編 )。この事件で完全に北の方に愛想を尽かした髭黒大将は玉鬘の姫君に入り浸り、とうとう業を煮やした北の方の父・式部卿宮は、髭黒大将の留守の間に北の方と子供たちを迎えにやる。【中古】 監査基準と監査手続 (1973年)。
自筆右下四つの印のうち下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印、上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。昇平夜話。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 開善寺殿泰山正宗大居士 小笠原信濃前司貞宗 高倉族館書写 鎌倉右大将家 書状 古文書。現代語訳では、「お逢いしないうちに月日も重なってしまいました」というものです。【中古】 戦後の経済成長 (1966年)。
言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。【中古】 体系憲法事典 (1968年)。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 人間と象徴 下 無意識の世界 (1975年)。殿にわた(渡)りたま(給)ふとき(時)も、
ことかた(方)にはな(離)れゐ(居)たま(給)ひて、君達はかりをそ、
よ(呼)ひはな(放)ちてみ(見)たてまつ(奉)り給ふ。【中古】 悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録 (1961年)。
わずか一夜逢わなかっただけなのに、その間にもまた一段と
おみごとに・・・・美しさのましたと思われなさる女君(玉鬘の姫君)のご様子に、
大将(髭黒大将)はますます余人に心を向けよう気にもなれず、
北の方(髭黒大将の正室)に対しても嫌な気持なので、長いこと
この女君(玉鬘の姫君)のもとに入りびたっていらっしゃる。f23122904〇増補改正 俳諧歳時記栞草 藍亭青藍 全5冊揃 嘉永4年 英屋大助 三書堂梓 曲亭馬琴『俳諧歳時記』増補〇和本 古書 古文書。
北の方(髭黒大将の正室)の御子のお年のほどは十二、三ぐらいで、
その下に次々と男の子が二人いらっしゃるのだった。【中古】 熱力学 (1971年)。
必出丑,被人耻笑,害怕之,越不敢回去。吾嬬路記。下面有个男孩。▼ 【全6冊揃 和刻本 類書集成 1-6巻 汲古書院 1976年】141-02403。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」真木柱の巻の末尾(原本番号40-B)の押印。【中古】 世界大音楽全集 第1 第67巻 器楽篇 ヴァオリン協奏曲集 (1961年)。
冬姫は通称。【中古】 雪氷十年 最近雪氷学の概観 (1949年)。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。【中古】 学校図書館の管理と運用 (1963年)。
表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【中古】 印刷企画と制作 (1964年)。筆者は近衛関白政家公。【中古】 音波物性 (1973年) (科学シリーズ・物性 7 )。左の写真は、桐壺の巻の奥付。☆E0096和本江戸期徳川家康伝記写本「三河後風土記」22冊/古書古文書/手書き。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)
(出品した自筆の「断層画像写真」(真木柱の巻)MRI 31―16B
「源氏物語」真木柱の巻の絵の資料
下記写真は、髭黒大将の北の方(正室)が大将の香炉の灰をに浴びせる画面の絵
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。上州前橋藩天川東西番丁屋敷割。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。大毘盧遮那成仏神変加持經巻第六 検索 唐善無畏 大日経 両部曼荼羅 胎蔵界曼荼羅 梵字 梵語 仏教 古文書。白楽天の有名な漢詩です。春画 浮世絵 和本 艶本 秘本。紫式部がこの原詩に親しんでいたことがわかる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状 歴史的逸品。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。【中古】 憲法 (1954年) (有斐閣全書)。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。【中古】 簿記教科書 (1956年)。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。為永春水作 尾形月耕画『梅暦余興春色辰巳園』(2冊=第2,3編)明治15年 武田政吉/鶴声社刊 明治時代和本 彩色木版画 浮世絵 錦絵。白楽天の有名な漢詩です。【中古】 判例婚姻予約法解説 (1935年)。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 演出者の手記 (1948年)。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。【中古】 純潔について (1950年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。【中古】 御岳の歴史 (1966年)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。古今合璧事類備要 附索引 全4冊 中文 宋・謝維新撰。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。【中古】 映画とともに (1953年)。額縁は新品です。【中古】 文学の宿命 (1940年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 コトバことば言葉 (1960年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 エミール・アレのフランススキー術 (1955年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 不完全競争の経済学 (1957年) (現代経済学名著選集 第1 )。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 伊勢丹七十五年の歩み (1961年)。幼名は多治丸。太陽 明治28年(創刊号~12号)復刻。神兵稜威考。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 私の人生探求 (1962年)。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。【中古】 日本簿記史談 (1971年)。源氏物語の世界~真木柱(まきばしら 源氏37歳から38歳)①。
自筆「源氏物語」の「真木柱(まきばしら)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
原文は「源氏物語・真木柱の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【中古】 マッテイ 国際石油資本への挑戦者 (1969年) (世界の企業家 7 )。【中古】 通信工学ハンドブック (1957年)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【江戸初期から中期の過去帳】 伊豆大島島司・大嶋亨蔵 歴史文化史料 N0324A。【中古】 映画と民族 (1942年)。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。藤沢南岳・増村度次・武石貞松序 山田寒山篆刻 丸田桜隠著『桜隠七十寿詩』大正5年序刊 漢詩集。【中古】 羨望と感謝 無意識の源泉について (1975年)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。中原淳一ひまわり附録。ロシア革命史 リチャード・パイプス/西山克典訳。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。【中古】 蒸気表および線図 (1950年)。【中古】 教育の森 第5 家庭と学校 (1966年)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 コミュニケーションと説得 (1960年)。【中古】 仏教の根本真理 仏教における根本真理の歴史的諸形態 (1956年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 オリンピックの歴史 (1963年)。【中古】 行政行為の公定力の理論 (1960年)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。法忍律師歌詠。【中古】 人生には必ず活路がある (1962年)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。修正民法草案 明治発行。【中古】 身体的行動 (1953年) (てすぴす叢書 第20 )。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。讃州象頭山金比羅霊験記 上下 巻一~五 江戸時代 和本 古典籍。蔵出し【 九星 本暦 方位便覧 萬民活用書 太陽略暦 など 大量 まとめて 】陰陽師 八卦 易学 占い スタンプ 古い 大正 戦前 和本 古書。
出品した「源氏物語」は真木柱(まきばしら)の内容の要旨
「真木柱の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第31帖。【中古】 愛の島々 (1958年) (人と自然叢書)。【中古】 日本農村教育 (1943年)。髭黒大将はその後玉鬘の姫君を迎えるために邸の改築に取り掛かる。だが、その様子を見た北の方(髭黒大将の正室)は絶望し香炉の灰を髭黒大将に浴びせる。【中古】 工芸と社会 (1947年)。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 古文書。明けて新年、相変わらず塞ぎこんでいる玉鬘の姫君に髭黒大将もようやく出仕を許す気になり、玉鬘の姫君は華々しく参内する。早速訪れた冷泉帝は噂以上の玉鬘の姫君の美しさに魅了されて熱心に想いを訴え、それに慌てた髭黒大将は退出をせきたててそのまま玉鬘の姫君を自邸へ連れ帰ってしまった。古文字詁林 7巻セット 李圃主 中文 古文字詰林 上海教育出版社。渋沢敬三著作集 全5冊 渋沢敬三。
原本自筆上部には、「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。白楽天の有名な漢詩です。聖道得門。陸奥國盛岡藩分限帳 江戸後期。「源氏物語」真木柱の巻の原文中には、「おほつかなき月日も重なりぬるを」とあります。源氏の君が恋する玉鬘の姫君への懐かし想いを記したものです。【中古】 ドイツ経済の奇蹟 (1954年)。【中古】 産業連関分析 (1969年)。紫式部が「真木柱」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。詳細な理由は下記説明欄に記載。【中古】 企業と税制改革 (1950年)。【中古】 明治前期経済の分析 (1956年)。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
「自筆原本」
自筆右下の2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。画帖 絵 書道。【中古】 日本商船隊の崩壊 (1949年)。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《めつら(珍)しうおかしさ》・・・・・まさりておほ(覚)え給ふ
有さま(様)に、いとゝ心をわ(分)くへくもあらすおほ(覚)えて、
心うけれは、久しうこも(籠)りゐ(居)給へり。修法なとし
さは(騒)けと、御ものゝけこちたくを(起)こりてのゝしるを
き(聞)ゝ給へは、あるましききすもつき、はちかましき
こと(事)かなら(必)すありなん、とおそろしうて、
よ(寄)りつき給はす。【中古】 読解指導 読みの基礎能力 (1956年)。★B57和本明治期書道「鳴鶴日下部先生書帖(王羲之/蘭亭記)」1帖/古書古文書/手書き。
女ひと所、十二、三はかりにて、またつきつき(次々)おとこ(男)
ふたり(二人)なむおはしける。ちか(近)き年比となりては
、御中もへた(隔)ゝりかち・・・・・《にてならは》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。松方正義述『松方伯時務談』明治30年 国民新聞社刊 明治時代の憲政論・政治論。【中古】 工芸概論 (1955年)。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《大雪の日・玉鬘の君の邸に行こうとする大将の装束に香をたく北の方(正室)》
《髭黒大将の北の方、大将に背後から香炉の灰をふりかける有名な場面》
《(髭黒大将)「昨夜の情けない一件に気持が落ち着かないでいると、
くゆる煙が立ちそうように、いよいよあれこれと後悔の念がわいてくることだ。
まったくとんでもないあの騒ぎなどが、もしあちらのお耳に入ったら、
この自分はどっちつかずの身になりかねまい」
と、ため息をついてお出かけになる。興亜研究会編『現地編輯 大陸旅行案内 満洲・北支那・中支那・南支那』昭和15年 大東出版社刊 中国全土の歴史・文化・風俗・名所旧跡を紹介。【中古】 サラリー・ガール (1953年)。
北の方(髭黒大将の正室)のほうでは修法(ずほう)などして騒いでいるけれど、
御もののけがたくさん現れてきてわめきたてているということをお聞きになるので、
大将(髭黒大将)は、そんな有様ではとんでもなく不面目なことになり、
恥をかきそうなことがきっとあるだろうと、おそろしくてお寄りつきにもならない。
お邸に帰られる折も、別の離れた部屋にいらっしゃって、お子たちだけを
お呼びたてになってお会いになる。【中古】 工業用水とその水質管理 (1961年)。☆E0199和本幕末期写本「滬藩浪士檄文」1冊/富南基迺園という人物が写したもの/古書古文書/手書き。近年になってからは、
ご夫婦仲も疎々(うとうと)しくなっておられたけれど、・・・・・《これまで本妻として
ほかに並ぶ人もなく過していらっしゃったのだから、それだけに
今はもうおしまいと北の方(髭黒大将の正室)がお思いになるので、
お仕えする人々もたいそう悲しい気持になっている。》
備考・髭黒大将の北の方(大将の正室)は、紫の上の異母姉
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。【中古】 国語音韻史の研究 (1957年)。☆3398和本江戸寛延2年(1749)浄瑠璃丸本「待宵侍従優美蔵人源平布引滝」全1冊/並木千柳/三好松洛/古書古文書/木版摺り。
《The Cypress Pillar(真木柱)》
He could not divide his affections.
He stayed with her for several days, hoping to forget
the disturbances at home and fearful of incidents
that might damage his name yet further.
The exorcists continued to be busy, he heard, and malign spirits
emerged noisily from the lady one after another.
On occasional trips home he avoided her rooms and saw
his children, a daughter twelve or thirteen and two younger sons,
in another part of the house.
He had seen less and less of his wife in recent years,
but her position had not until now been challenged.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《真木柱》
他家中日大修法祈祷,然而那鬼魂越来越凶,
大肆。【中古】 経済分析の基礎 (1967年)。【中古】 民事法研究 第2巻 (1954年)。
后来然回去,也居在室中,只把子女叫来一番。
他有一个女儿,年方十二三。f20082801〇日本歳時記 全7巻 全1冊合本 貝原益軒 貞享5年 日新堂 画像複数掲載〇和本古書古文書。【中古】 出版の面白さむずかしさ (1959年)。
近几年来,他夫人然逐疏,
但把当作一位高无比的正夫人看待。
如今看看情即将断,侍女都得十分悲。【中古】 労務管理の日本的特質と変遷 (1962年)。1946年 朝鮮古代の文化 検索:日韓併合 総督府 関東軍 咸鏡北道 平安南道 京畿道 平壌 平安北道 慶尚道 黄海道 忠清南道 全羅北道 壁画 京城。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。【中古】 生産的労働と国民所得 (1966年)。正式な名は伊達貞子。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。●極上和本YM3322●女学範 大江玄圃 久川靭負 明和5年 稀書往来物 女訓書 菱屋四郎右衛門板 水戸藩儒・青山家旧蔵書。【中古】 告発 犯人は別にいる (1960年)。)
「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。みだれ髪 四版 訂正改版 与謝野晶子 藤島武二画。【中古】 京の町かどから (1962年)。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。明治保育文献集 全10冊 岡田正章監。【中古】 新しい社会と新しい経営 (1957年)。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 塑性理論の基礎 (1971年)。皇朝史略 8冊。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。m◆6* 補義荘子因 獨見附標 全6冊揃 浪華書肆 前川文栄堂 和本 古書 /P6。☆E0116和本江戸期田沼意知暗殺写本「始末太平記」5冊揃い/古書古文書/手書き/天明七年御買上米一件/田沼意次。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。此花 雅俗文庫 宮武外骨 3,8,6,7,5,9枝 破蕾号 2 洞落号 4枝 10号 合本2冊 浮世絵研究誌。【中古】 吊構造 (1975年)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。私の見た霊界と永生 岩橋武夫 昭10 ヘレン・ケラー エスペラント キリスト教新約聖書神学宗教カトリックプロテスタントルターカルヴァンOF。【中古】 近代絵画史 (1962年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 経済原論 上巻 (1950年)。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。『文壇照魔鏡 第壹 与謝野鉄幹』明治34年 大日本廓淸會刊 元版(初版本)明治文学 明星 与謝野晶子 田口掬汀。【中古】 日本の映画 (1956年) (三一新書)。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。吉田兼好『絵入つれつれ草 系図入読僻附』(全2冊揃)元禄7年版後印本(江戸中期刊)徒然草 江戸時代和本。【中古】 人間の壁 中編 (1959年)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見一件留帳 54丁 藩主井伊直弼来村⑪ 下野国安蘇郡 現在の栃木県佐野市 240122。【中古】 日本社会政策史 (1940年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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