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□ 長瀬速水 明治元年の支配帳に長瀬速水家がある。儀政は閉伊郡遠野のうち長瀬村に生まれ氏とした。しかし、所伝によれば、分家・長瀬治部左衛門(万治三年死去、行年九十二歳)は既に行事道角力節会を行い、代々行事を勤めていたとあり、以前より家業としていた事が窺われる。別に領内中相撲行事一通を許され、領分中にて立行事となった。同年一人加扶持、三人扶持(高十八石)となった。その跡職を渡辺正運の養二男善次郎慶明(のち善太郎、越後)が二代目を相続、同十七年南部相撲が京・大坂で興行の時、藩命により一条関白兼香から相撲行事・官名越後を受領、帰国の後給人に召出された。宝暦四年藩命により三戸信駕(南部利視九男)に仕えて別に三人扶持を禄し、同十二年に再び本藩に仕えて三人扶持を禄し、安永二年に隠居。「たけたからくり」は、他国にての興行相撲に功績があったこと、就中、京都にての大相撲興行に際しては、土俵の作り方、四本掛堅屋の上に鯱を上げたことが二条家の不審をかい、その申し開きが伝書を添えて明快であったことから、南部相撲の伝統を宣伝したこと、併せて越後の名乗りを受領したことなどを記述、藩はこれを称し、百石格として御近習の列に加えたと伝える。三代目釜蔵(小林喜右衛門の弟、のち千太夫)は、「御番割遠近帳」によれば、宝暦四年に養父越後が三戸信駕御人となったことに伴い、その家督を嗣ぎ、同十一年に死去している。同十三年から一家を興した養父越後と共に相撲御用(行事職)を勤めて安永二年死去。六代目造酒之助(のち越後)は安永七年に家督、相撲御用見習を勤め、寛政四年に献金の功により十二石加増せられ高五十石となった。その後、文化五年閏六月に越後と名改め、文政二年に相撲行司家となり、同三年隠居した。慶応元年物価高騰により安定するまで本高同様の手当米十二石を給せられ、手当米ともで三駄四人扶持(高三十石)の実収となった。その跡を定敏一善司一好男と相続、当主政雄は山田町に在住する。<近世こもんじょ館>
状態:明治期の文書もあります。また、一巻には手紙が貼られています。断簡になった文書もあります。
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