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大きい割引 冷泉天皇の勅命により夕霧、源氏の君の四十の賀の 和書

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メーカー e0634ff 発売日 2025-06-01 16:33 定価 25000円
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大きい割引 冷泉天皇の勅命により夕霧、源氏の君の四十の賀の 和書

冷泉天皇の勅命により夕霧、源氏の君の四十の賀の。冷泉天皇の勅命により夕霧、源氏の君の四十の賀の豪華な祝宴を。源氏物語 第三十九帖 夕霧 目次。玄米1キロ 令和6年新米 長野県北信米 我が家も安心して玄米のまま食してます。 閉じる

不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

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「我君不遊有深意」漢詩文の落款

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源氏の君の四十の賀の祝宴

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「若菜(わかな)上」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。源氏物語 第三十九帖 夕霧 目次。

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【中古】 社会的学習と模倣 (1956年)。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。画帖 絵 書道。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 日本商船隊の崩壊 (1949年)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。【中古】 人間と象徴 下 無意識の世界 (1975年)。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。【中古】 読解指導 読みの基礎能力 (1956年)。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。★B57和本明治期書道「鳴鶴日下部先生書帖(王羲之/蘭亭記)」1帖/古書古文書/手書き。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 悪政・銃声・乱世 風雲四十年の記録 (1961年)。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。松方正義述『松方伯時務談』明治30年 国民新聞社刊 明治時代の憲政論・政治論。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。【中古】 工芸概論 (1955年)。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。絵本初心柱立。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。興亜研究会編『現地編輯 大陸旅行案内 満洲・北支那・中支那・南支那』昭和15年 大東出版社刊 中国全土の歴史・文化・風俗・名所旧跡を紹介。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。【中古】 サラリー・ガール (1953年)。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。f23122904〇増補改正 俳諧歳時記栞草 藍亭青藍 全5冊揃 嘉永4年 英屋大助 三書堂梓 曲亭馬琴『俳諧歳時記』増補〇和本 古書 古文書。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 工業用水とその水質管理 (1961年)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。☆E0199和本幕末期写本「滬藩浪士檄文」1冊/富南基迺園という人物が写したもの/古書古文書/手書き。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 熱力学 (1971年)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 国語音韻史の研究 (1957年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。☆3398和本江戸寛延2年(1749)浄瑠璃丸本「待宵侍従優美蔵人源平布引滝」全1冊/並木千柳/三好松洛/古書古文書/木版摺り。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 人形に心あり (1956年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。【中古】 経済分析の基礎 (1967年)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。【中古】 民事法研究 第2巻 (1954年)。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。吾嬬路記。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。f20082801〇日本歳時記 全7巻 全1冊合本 貝原益軒 貞享5年 日新堂 画像複数掲載〇和本古書古文書。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 出版の面白さむずかしさ (1959年)。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。▼ 【全6冊揃 和刻本 類書集成 1-6巻 汲古書院 1976年】141-02403。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【中古】 労務管理の日本的特質と変遷 (1962年)。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。1946年 朝鮮古代の文化 検索:日韓併合 総督府 関東軍 咸鏡北道 平安南道 京畿道 平壌 平安北道 慶尚道 黄海道 忠清南道 全羅北道 壁画 京城。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【中古】 世界大音楽全集 第1 第67巻 器楽篇 ヴァオリン協奏曲集 (1961年)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。深奥山方廣萬寿禅寺入寺 開堂拙語 写本 臨済宗方広寺派 江戸時代 静岡県浜松市浜名区 検)禅宗栄西仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗親鸞NY。


 出品した「源氏物語」は「若菜(わかな)上」の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。【中古】 生産的労働と国民所得 (1966年)。若菜の巻名は、「小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき」に因む。【中古】 雪氷十年 最近雪氷学の概観 (1949年)。源氏の君の兄・朱雀院(前朱雀天皇)は六条院の行幸直後から体調を崩し出家しようとするが、後見人の居ない愛娘・女三宮の将来が心配で躊躇している。【中古】 仕事の世界 (1951年)。婿選びに思い悩んだ末、朱雀院は源氏の君に女三の宮を託すことを決心、源氏も承諾した。廣大圓無礙大悲心陀羅尼会訳5丁 大悲心陀羅尼修行念誦略儀 10丁 民国12年 白紙刷 1冊 唐本 仏書 古文書。年が明けて二十三日、源氏の四十の賀が盛大に行われる。【中古】 学校図書館の管理と運用 (1963年)。二月に女三宮が六条院に降嫁した。●極上和本YM3322●女学範 大江玄圃 久川靭負 明和5年 稀書往来物 女訓書 菱屋四郎右衛門板 水戸藩儒・青山家旧蔵書。翌年三月には明石の女御(源氏の娘)が東宮(皇太子・後の帝)の男御子を出産。【中古】 告発 犯人は別にいる (1960年)。それからしばらくして、突然冷泉帝が東宮(後の帝)に譲位した。【中古】 印刷企画と制作 (1964年)。一方、かねて女三宮の降嫁を切望していた柏木(内大臣の息子)は、その後も未練を残していた。【中古】 イタリー語第一歩 (1951年)。三月末、六条院の蹴鞠(けまり)の催しに訪れた柏木は、飛び出してきた唐猫の仕業で上がった御簾の奥にいる女三宮の姿を垣間見てしまう。【中古】 現代ソビエト文学の世界 (1968年) (晶文選書)。それ以降、柏木はますます女三宮への思いを募らせていく。【中古】 音波物性 (1973年) (科学シリーズ・物性 7 )。源氏の君、39歳から41歳までを描いている。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原大膳太夫長時 犬甘 古文書。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)


自筆上部の「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。【中古】 義務教育の理論 (1968年)。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。☆E0096和本江戸期徳川家康伝記写本「三河後風土記」22冊/古書古文書/手書き。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」若菜(わかな)上の巻》
「若菜・上」の巻は英文で「New Herbs Part One」と表記されます。【中古】 外国資産国有化と国際法 (1964年)。
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という、中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた「白氏文集」の漢詩文の落款が押捺されており、この漢詩文は「若菜・上」の原文中から引用されている。●極上和本YM4755●〈大字絵抄〉二十四孝〈新板絵抄〉二十四孝集 安永5年・仙台板 本屋治右衛門ほか板 稀書往来物。》

「額縁入自筆原本」


(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。上州前橋藩天川東西番丁屋敷割。)

「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 不安のメカニズム 心の病から脱出するために (1974年) (ブルーバックス)。

自筆上部のタテ長の印は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」は、
中国の皇帝が行幸しないのは莫大な行幸に費やすことを控える徳を讃えた漢詩文の落款。★0282和本江戸天和元年(1681)能狂言「謡本」20冊揃い/井筒屋六兵衛政春/古書古文書/木版摺り。


《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。大毘盧遮那成仏神変加持經巻第六 検索 唐善無畏 大日経 両部曼荼羅 胎蔵界曼荼羅 梵字 梵語 仏教 古文書。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。●極上和本YM3330●新用文章[新板用文障・新板用文章](寛文板系統、有郭・頭書本4種)稀書往来物。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。【中古】 あらびあんないと事典 (1961年)。


《「源氏物語」若菜・上(わかな)の巻》
《原本上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という若菜・上の原文中に引用されている漢詩の落款が押捺されている。春画  浮世絵 和本 艶本 秘本。》

《ほそなか(細長)》・・・・一かさね(襲)、こしさし(腰差)なとまて、
つきつき(次々)にたま(賜)ふ。都のてぶり。
装束限りなくきよらを尽くして、名高き帯、御佩刀なと、故前坊の
御方さまにて伝はり参りたるも、またあはれになむ。【中古】 都市の黒人ブルース (1968年)。古き世の一の物と
名ある限りは、皆集ひ参る御賀になむあめる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  中津  古文書  書状  歴史的逸品。昔物語にもゝの得させたるを、
かしこきことには数へ続けためれと、いとうるさくて、
こちたき御仲らひの ことゝもは、えそ数へあへ はへらぬや。【中古】 人間存在の倫理 (1967年) (実存主義叢書 第16 )。
うち(内裏)には、おほ(思)しそ(初)めてしことゝもを、
むけにやはとて、中納言にそつけさせ給(たまひ)・・・・・《てける。【中古】 美と力 1964 Tokyo Olympics (1964年)。》


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 憲法 (1954年) (有斐閣全書)。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。長谷川伸旧蔵書 西澤仙湖著 斎藤昌三序 西澤笛畝装丁『仙湖随筆』昭和2年 温故書屋坂本書店刊 煙草論・煙管論 郷土人形論 平賀源内伝など。


《「源氏物語」若菜(わかな)・上の巻》
《冷泉天皇の勅命により夕霧、源氏の君の四十の賀の豪華絢爛な祝宴を開催》

《これまでの例と特に異なることなく、上達部の禄などは大饗に準じて、
親王たちには特別に女の装束を、非参議の四位や公卿など
普通の殿上人には白い細長を》・・・・・一襲、巻絹などまで順次にお与えになる。【中古】 回顧六十五年 (1953年)。
装束は、このうえなく善美を尽して、名高い帯、御太刀など、なき前東宮のほうから
ご相伝の逸品であるのも、また感慨が深いことではある。【中古】 簿記教科書 (1956年)。
昔から天下の名器として名のある品々はすべてここに集まってまいる御賀のようである。【中古】 渓流・清流を探ねて つりと人生 (1955年)。
昔物語にも、引出物の詳細を結構なこととしていちいち数えたてているようだが、
まったくわずらわしいことなので、この仰々しいご交際のことは、
とてもすべて数えあげられるものではありません。古書 江戸時代 貝原篤信 貝原益軒 新編 増補和漢名數 上・下 元禄五年。
帝(冷泉天皇)におかれては、源氏のための四十の賀の祝宴の数ゞのご計画を
あそばした数々のことを、そうやすやすとご中止になってよいものかと
おぼしめされて、宴を開催に中納言に仰せつけ・・・・《あそばしたのであった。為永春水作 尾形月耕画『梅暦余興春色辰巳園』(2冊=第2,3編)明治15年 武田政吉/鶴声社刊 明治時代和本 彩色木版画 浮世絵 錦絵。》

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。みだれ髪 四版 訂正改版 与謝野晶子 藤島武二画。
禁裏(京都御所)で書かれたものです。【中古】 京の町かどから (1962年)。


(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。【中古】 判例婚姻予約法解説 (1935年)。


《New Herbs Part One(若菜・上)》
Among the fine old objects (it was like a display of the very finest) were
some famous belts and swords which she had inherited from
her father and which were so laden with memory that several
of the guests were in tears.
We have all read romances which list every gift and offering
at such affairs, but I am afraid that they rather bore me;
nor am I able to provide a complete guest list.
The emperor still wanted a part in the festivities.
A general having resigned because of ill health, he proposed a special jubilee appointment for Yugiri.
Genji replied that he was deeply grateful,
and only hoped that Yugiri was not too young for the honor.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)



(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。明治保育文献集 全10冊 岡田正章監。


《若菜・上》
此外各腰。【中古】 新しい社会と新しい経営 (1957年)。皇后源氏制的装束精美,
其中有名的玉与宝,是皇后的父前皇太子下来的物,
睹物人,又深感慨。【中古】 演出者の手記 (1948年)。凡古来盖世无双的名物,已集中于此,
真乃盛大的祝。古文書 大徳寺塔頭真珠庵・二十世住持 太室宗宸 直筆書状(室谷仁兵衛・宛)文政京都地震直後の様子を伝える一級史料 巻子仕立 超貴重。古代小中,往往重其事地列人的礼品。【中古】 宗教哲学 (1955年) (現代キリスト教シリーズ 第9 )。
但在些高人物之的酬酢,非常繁,多不数,故略而不。【中古】 純潔について (1950年)。


中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)


「若菜・上の巻」原本の末尾(原本番号108-B)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・上の巻の末尾(原本番号108-B)の押印。【中古】 塑性理論の基礎 (1971年)。
左下の四角の大きな印は仙台・伊達家の家紋の印(竹に雀)
家紋の上2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)の印。皇朝史略 8冊。冬姫は内大臣・通誠の養女。【中古】 御岳の歴史 (1966年)。
冬姫は通称。m◆6* 補義荘子因 獨見附標 全6冊揃 浪華書肆 前川文栄堂 和本 古書  /P6。正式な名は伊達貞子。☆E0116和本江戸期田沼意知暗殺写本「始末太平記」5冊揃い/古書古文書/手書き/天明七年御買上米一件/田沼意次。2つとも貞子の印。古今合璧事類備要 附索引 全4冊 中文 宋・謝維新撰。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。【中古】 人物にっぽん音楽誌 明日のために・この12の個性について考える (1963年)。
左上端の細長い落款は、「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」の漢詩文の印。【中古】 世界音楽教育史 (1958年)。漢詩文の右の2つの印のうち、下は出雲藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)の印。【中古】 映画とともに (1953年)。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。英烈遺事。右上の印は仙台藩医・木村寿禎の落款。【中古】 政府と人民 (1955年) (時代の窓)。右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。【中古】 文学の宿命 (1940年)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。此花 雅俗文庫 宮武外骨 3,8,6,7,5,9枝 破蕾号 2 洞落号 4枝 10号 合本2冊 浮世絵研究誌。


(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。【中古】 吊構造 (1975年)。筆者は近衛関白政家公。【中古】 コトバことば言葉 (1960年)。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。私の見た霊界と永生 岩橋武夫 昭10 ヘレン・ケラー エスペラント キリスト教新約聖書神学宗教カトリックプロテスタントルターカルヴァンOF。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。【中古】 近代絵画史 (1962年)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。【中古】 エミール・アレのフランススキー術 (1955年)。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。【中古】 経済原論 上巻 (1950年)。上下2段の花押のうち、上の印は。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管  古文書。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「自筆の画像断層(MRI)写真」

(出品した自筆の「断層画像写真」(若菜・上の巻)MRI 34―67B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款



「天皇の曽祖父・大炊御門宗氏の系図」「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」

1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【中古】 不完全競争の経済学 (1957年) (現代経済学名著選集 第1 )。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)


「源氏物語」「若菜・上の巻」絵図、茶室関係資料

下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・上)」東京国立博物館所蔵

猫が開けた御簾(みす)の隙間から、柏木が女三宮を目撃する「若菜・上」の有名な場面


上から2番目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)

上から3番目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例




大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。『文壇照魔鏡 第壹 与謝野鉄幹』明治34年 大日本廓淸會刊 元版(初版本)明治文学 明星 与謝野晶子 田口掬汀。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。【中古】 日本の映画 (1956年) (三一新書)。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。【中古】 伊勢丹七十五年の歩み (1961年)。

漢詩文原本自筆上部に「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。吉田兼好『絵入つれつれ草 系図入読僻附』(全2冊揃)元禄7年版後印本(江戸中期刊)徒然草 江戸時代和本。この漢詩は「白氏文集」の「離宮高」の漢詩に由来するものです。【中古】 人間の壁 中編 (1959年)。「若菜・上」の巻では、冷泉天皇が源氏の君の四十の賀にかこつけて、源氏の君の許に「行行」をしたいと思うが、これを聞いた源氏の君が辞退を申し出る。太陽 明治28年(創刊号~12号)復刻。。自体の理由は、天皇の行幸には莫大な支出が伴うため、庶民の財を費やすことになるので天皇の行幸をいさめたものである。神兵稜威考。原文の漢詩は、「白氏文集」の漢詩で、白氏は「天子(皇帝)の人(たみ)の財力を重惜するを美(ほ)むるなり」との名言を残している。近江彦根藩領出流原村古文書●嘉永6年 御巡見一件留帳 54丁 藩主井伊直弼来村⑪ 下野国安蘇郡 現在の栃木県佐野市 240122。源氏の君は、天皇が源氏の君を訪ねるために「世間の迷惑となるようなことをなさいませんように」という意味で語りかけたものです。【中古】 日本社会政策史 (1940年)。紫式部は「若菜・上の巻」を書くに際し、漢詩を熟読したうえで原文を書いていることがわかります。【中古】 私の人生探求 (1962年)。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。【中古】 日本行刑史 (1961年)。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。【中古】 目標管理システム (1967年)。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。【中古】 日本簿記史談 (1971年)。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。【中古】 図説理化実験指導法 (1954年)。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。【中古】 若者制度の研究 若者条目を通じて見たる若者制度 (1936年)。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘多宮 元文二 古文書。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。【中古】 民主的社会主義 (1960年)。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。【中古】 日本武器概説 (1943年)。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。【中古】 護謨の研究 (1936年)。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「我君不遊有深意(わが君の遊ばざるは深意あり)」という漢詩文の落款が押捺されている。送料込(沖縄以外) 昭和6年 山陽先生遺墨集 恩賜京都博物館編 2冊 小林寫眞製作所。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。【中古】 日本上古音楽史 (1935年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【洛座】江戸時代 安永年号 宇佐行事絵巻物等写 諸国生活絵本 古書 3冊<◆748。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。鈴木重春『番匠秘事』(2冊)正徳4年 須原屋茂兵衛蔵版 お堂の大工雛形集 江戸時代和本 建築装飾雛形 大工書 大工雛形書 仏教建築。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 新しい写真の考え方 (1957年)。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。【中古】 宋明時代儒学思想の研究 (1962年)。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。【中古】 雪と岩 (1961年)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。【中古】 味百年 食品産業の歩み (1967年)。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 地方財政の理論と実態 (1955年)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。フローベール全集 全11冊。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。【中古】 生活指導の実践過程 (1960年) (現代教育全書)。撮影後、展示のために再表装をしております。【中古】 成長する会社 (1963年)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。【中古】 宗教学概論 (1960年)。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。【中古】 シネクティクス 才能を組織しアイデアを開発する (1964年)。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。文芸類纂。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。【中古】 スーパーマーケット 流通革命の先駆者 (1962年)。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。【中古】 都市社会学研究 (1959年)。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。★0522和本江戸嘉永元年(1848)呪い占い護符「増補呪詛調法記大全」全1冊/大江匡弼(大江文坡)/古書古文書/木版摺り。額縁は新品です。【中古】 中世祭祀組織の研究 (1962年)。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。貴少!/[大分縣管内之圖・明治中期頃・手写復元]/外表紙付。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。1933年 支那陶窯史 支那陶磁源流圖考 検索⇒ 青瓷 秘色瓷 汝州窯 哥窯 白瓷 官窯 民窯 天目 釉裏紅 兎豪 均窯 影青瓷 定窯 建窯 蘇泥 祭紅。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 産業社会の展開と市民社会 (1964年)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。x011 匠家雛形 増補初心伝 6冊揃 大正11年 ■宋栄堂蔵版 和本 古書 建築 大工 規矩術 構法 木割術。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 神の代理人 (1964年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。日本の民俗 全47冊。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【中古】 生態系の構造と機能 (1973年)。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 日本農村社会の構造分析 村落の社会構造と農政滲透 (1954年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。御家中列帳 信州上田藩士分限帳 寛政七年九月改。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【中古】 明治地方制度成立史 (1967年)。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 国語アクセント論叢 (1952年)。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 財政新時代 (1966年)。母は後水尾天皇皇女女二宮。【中古】 財政学 批判的・理論的解説 (1932年)。実母は近衛家女房(瑤林院)。☆3032和本江戸嘉永2年(1849)写本「天下茶屋敵討郷談記」5冊揃い/備前国和気郡新庄村(岡山県備前市)/古書古文書/手書き。幼名は多治丸。古文書 和書 「梅里先生寿蔵碑講義」 水戸 水戸光圀 瑞竜山 栗田勤 講演録 茨城県 歴史資料 郷土資料 常陸太田 (レターパックライト発送)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。【中古】 天皇? (1953年)。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。古書 俳句 古文書 詩集 全52ページ。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。本 古書 「毛筆 ペン 常用漢字のくづし方」 昭和11年(1936年) 坂原担山書  洛東書院。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 忘れられている安全保障 (1967年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 明治屋食品辞典 第2 食料編 (1963年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。秋里籬島著 西村中和画『絵本保元平治 保元平治闘図会』(全十巻十冊揃)享和元年 岡田群玉堂刊 江戸時代和本(明治刷)読本。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。【中古】 ニヒリズム 成立・本質・克服 (1954年)。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 ヴァイオリニストの覚え書き (1967年)。


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